クリア スカイ
モビルスーツでできる動きには、ある一定の限界があるはずだった。
青い青い空の下、戦艦が次々と撃沈し、敵のモビルスーツが、腕や脚を失って、あっという間に落ちていく。
インパルスと、セイバーと。
その二機の動きは限界を遙かに超えていた。
『ああなった』後は、少し、後を引きずってしまう。
キラは平気な顔をしているけれど、アスランは未だに、あの人としての枠が壊れたような感覚には慣れない。
妙にクリアになった視界に、自機の赤が痛い。
それでも首を振って、アスランは帰投した僚機のパイロットに目を移した。
激戦だったが、レイはいつも通り淡々としている。
ルナマリアはぐったりしているが、戦闘後はいつもそうなので、標準範囲内だろう。
シン、は。
ラダーから足を下ろし、ヘルメットを外している。
乱れた髪の間から見えたその瞳、その様子。
感覚が鋭敏になっていることに、アスランは感謝した。
「シン！」
駆け寄って、肩を掴む。
こちらに向いた赤い瞳は、凝った血を流し込んだようで。
まともでは、ない。
アスランも感覚を引きずるが、それでもＭＳを下りてまでこうだったことはない。
「放してください」
アスランの手を叩き落す音が高く響き、レイとルナマリアも、様子がおかしいことに気づいた。
「シン」
「何やってんのよアンタ」
シンの血色の瞳が、二人に向く。
消えない殺気が痛い。
これを、仲間に向けさせてはいけない。
アスランは、もう一度、シンの肩を強く掴んだ。
「来い」
「放せって言ってるだろ」
「来い！」
大きく振り上げられた腕を捕まえ、格納庫から引きずり出す。
「何するんだ！」
暴れるシンを押さえ込みながら、アスランの背筋を冷たい汗が伝った。
今の状態のシンとやり合って、勝てるかどうかわからない。
現に、肘が側頭部に当たって気が遠くなりかけた。
「大人しくしていろ！」
それでも、やり返しても埒があかないことはわかっているから、怒鳴るだけ怒鳴ってシャワー室へ引きずり込んだ。
「なんなんだよ、あんたは！」
「話は 正気になってから聞く！」
そのまま個室に直行し、強化プラスチックの壁に、シンの頭を押し付けた。
コックをひねろうとした手を、すんでのところで捕まえられ、アスランは舌打ちする。
「何、すんだよ」
血を、凝らせたような瞳に見据えられ、一瞬動けなくなった隙に逆に壁に叩きつけられた。
色を失った口の端がつり上がり、そのまま・・・アスランの唇に押し付けられる。
「んっ・・・」
冷たい唇から、熱い舌が入ってくる。
意気もつけないディープキス。
首を振って逃れようとすると、顎を掴まれて更に深くされた。
それは、アスランの手が自由になったことも示し。
手探りでコックを見つけ、思い切りひねる。
上から、冷水が勢い良くぶちまけられた。
「うゎっ」
首からパイロットスーツの中まで流れ込んだ水に、シンが悲鳴を上げた。
殴られた頭ががんがんと痛むほどの冷水を一緒に浴びて、アスランも少しだけ後悔した。
「つっ・・・冷たっ！」
シンの声に、いつもの感情が戻った。
殺気が、消える。
アスランはシンの髪を掴んで、瞳を覗き込んだ。
いつもの、焔を湛えたシンの瞳。
知らず、安堵の息がもれた。
「はぁ・・・・」
「あ？あ、あ・・・・うぇ？」
何なにナニ。
状況が把握できないらしいシンの頭をひとつ殴り、アスランはシャワーの温度を調節する。
冷えた体に温かい雨が降り注ぎ、無駄に入っていた力が抜けた。
「あまり・・・手間をかけさせるな」
「あ、は、はい。あのっ」
「話は後だ。とりあえずちゃんと温まってから出て来い」
もう一度、今度は軽くシンの頭を叩いてから、アスランは個室を出た。
疲れた。
髪からまだ冷たい水がぱたぱたと落ちて、パイロットスーツの中まで入ってきて気持ち悪い。
しかもそこにはシンを心配したのだろう、パイロット二人と整備の少年たちまでがいて。
愛されてるな、と、少し羨ましくなる。
「シンのあれ・・・なんですかあれ！？」
恐らく、彼女はあの感覚を知らないだろう。アスランは当り障りのない答えを探した。
「ちょっと、気が高ぶっていたみたいだ。水をかけたら収まった」
「水って・・・犬かよ〜」
ほっとしたような少年たち。
その横をすり抜けようとして、何故かレイと目が合った。
いつも、あまり感情を表さないレイの目が、少しきつくなっているのがわかる。
ああ、こいつにはわかるんだなとは思ったが、アスランは彼の肩を軽く叩いただけで通り過ぎた。
彼は、シンの友達だ。シンから直接話させた方がいい。
「何よ！いきなり脱いでんじゃないわよ！」
「開けんなよ。シャワー室だぞ脱いでて何が悪いんだよ！」
怒鳴りあう二人の声と、レイのため息が後ろから聞こえ、アスランは少し、笑った。
目の前に、翠玉の瞳。
唇に残る、あたたかい感触。
心地よく痺れた舌。
頭から被った水はびっくりするほど冷たいのに、体は妙に熱くて。
さっきまでは世界全部が自分のもののような気がしていたのに、今は自分の思考さえままならない。
そんなうろたえるシンに温水をかけて、アスランはさっさと出て行ってしまった。
冷たい水が入った背中に、更に温水が入ってパイロットスーツの中がぐしゃぐしゃになっている。
気持ち悪くなって脱いでいると、突然ルナマリアにドアを開けられてしまった。
「何よ！いきなり脱いでんじゃないわよ！」
「開けんなよ。シャワー室だぞ脱いでて何が悪いんだよ！」
バタンと思い切り強くドアを閉めなおし、シンは頭からシャワーをざんざん浴びた。
髪に染みた冷たい水が、だんだんと温かいそれに代わって、やっと頭が回ってくる。
うわ、俺アスランさん殴った！？
ってか、キス、した・・・・・・
今更なことに気がついて、一気に血の気が下がった。
殴ったことに関しては、後で殴り返してもらえば済むだろう。
意外とさっぱりした気性をしているのは知っている。
問題は、キス、だ。
なんであんなことしちゃったかなぁ。
頭を抱えて座り込む。上から降りかかるシャワーが、少し痛い。
ずっと憧れていて、実物を見たら本当に好きになった。
強くて格好良くてきれいで凄いのに、どこか、何か頼りない人。
キスしたいなんて、本気で思ってて、でもだからって本当にするなんて・・・
『話は後だ。とりあえずちゃんと温まってから出て来い』
とりあえず温まった。
後は。
謝って殴ってもらってなかったことにしよう。
なかったこと、に。
「・・・・・したくないな、畜生」
唇の感触は、まだ、消えずに残っていた。
普通に挨拶をして、普通に部屋へ招き入れて、普通に椅子に座らせて、普通に話を聞こうとして。
「すみませんでしたっ」
思い切り頭を下げられて、アスランは苦笑した。
「いや、あれは俺も荒っぽかったかもしれない。すまなかったな」
「いえ、でも、あの、俺・・・」
そんなあっさり言われるとは思わなかったシンは、思い切りうろたえて言葉を捜す。
「しかし、あれを引きずるな。お前、仲間をどんな目で見てたか覚えているか？」
「・・・・・・」
きんいろはつよい。あかいのはかんたん。
どうやったら殺れるかまで、一瞬で何パターンもシミュレートした。
そんな自分にぞっとする。
「完全にコントロールしてる奴は、俺も一人しか知らない。少なくとも俺はできない」
恥じるでもなく、アスランはそう言う。
「あの、じゃあ、あなたも」
そういえば、途中から動きが違った。
もともと、正確無比な攻撃をする人だったけれど、それに磨きがかかり、本当に人間が乗っているのかと、疑うほどの速さで戦場を駆けていたセイバー。
この人も、同じ世界を見ていた。それが、嬉しい。
完全にコントロールしている奴というのは気になったけれど、少なくともそいつはここにはいないようだから。
あの、異様に鮮明な空の色。
二人だけが、知る世界。
そう思うと、どきどきした。
「SEEDを持つ者、と、いうらしい。俺もよくは知らないが。まるで・・・世界全部が、自分の物のように、よく見えただろう？」
「はい」
見ようと思う前に、情報が頭に入ってきた。敵機の動きどころか、実弾の軌道やビームの照準まで、わかった。
何でもできると、本気で、思った。
「上手く使え。さっきも言ったように完全じゃなくていい。そうすれば、たくさんの人を助けられる」
「はいっ」
大きく頷いたシンの髪を、アスランの手が優しく撫でる。
子供のように扱われてむっとすると、その表情の変化にアスランが笑って。
わずかに上がった口の端に、あれにキスしたんだと思ってどきどきがもっと激しくなった。
「あの、アスランさん」
「なんだ？」
作戦中でなければ、このひとの声は、こんなにも柔らかい。
「あの、その・・・・」
「ああ、気にするな」
どう切り出していいか困ったシンに、何のことかを察したアスランは、ちょっと笑って言った。
「でも気をつけろよ、俺だからよかったようなものの、相手がルナマリアあたりだったら、下手したら営倉だぞ」
ザフトには女性兵士も多い。彼女たちの人権は、当然慎重に守られている。
だが、もちろんシンにとって問題なのは、そこではない。
よかったって、よかったって・・・・
なかったことどころか、気にもされていなかったことに気が付いて、シンは愕然とした。
だって男にキスされて、それで済ますなんてそんなのアリか？
慣れてるのかもしかして。ああそうかもしれないなんかこのひとキレイだしっ！
ぐるぐる考え出して黙ってしまったシンを、心配になったアスランが覗き込む。
翠の瞳ともろに視線が合って、それがシンの背を突き飛ばした。
「違いますよ！俺は、あなただからキスしたんです」
「は？」
「だって俺、あなたが好きだから・・・・っ」
一度口に出してしまえば、勢いは止まらない。
「そりゃあ見境なくなってましたけど、ってだから余計！だってしたかったからしちゃったんですよ。ええと、だから、見境、というより、理性が・・・・飛ん、で・・・・」
キスしちゃいました。
だんだんと声が小さくなり、最後の一言は、まるで消え入るようで。
穴があったら入りたい、というのは、たぶんこういうときのことを言うんだろう。
うわ言っちゃったよ、どうしよう、俺。
しかしアスランは、シンの心中も知らぬ気に、くつくつと笑い出した。
「いや、面白いな、お前」
だからなんでそういう反応なんだろう・・・
「まあ、とにかく俺は気にしてないから」
気にして下さい頼むから。
「少しおかしくなることもあるだろうさ。戦争だしな。だが、そのときは俺のところに来い。仲間を、巻き込むなよ」
ああ、まただ。
『力を自覚しろ』、そういう話。
はいわかりました、でもだからそういう話じゃなくってですね。
シンは開き直ることにした。
素なのかわざとなのかは知らないが、このひと相手にためらっていたら、きっと何も始まらない。
「俺のところに来いって、じゃあ行ったらまたキスさせてくれるんですか？何回でも言いますけど、俺、あなたが好きなんです」
「まあ、キスくらいならな」
「じゃあそれ以上は！？」
「・・・・」
さすがにこれには、アスランも驚いたようだった。
翠の瞳が見開かれ、挑むようなシンを映す。
妙な勝利感。
即座に拒否しないんだ。
なら、きっとイケル。
よし、と拳を握り締めたシンの背中を、更にアスランの声が押した。
「お前しだい・・・かな」
「ほんとですか！？」
「とりあえず、宿題は・・・」
「上手く使え、ですか」
「ああ」
頷いたアスランが、何をどこまで考えているのかはわからないけれど。
「わかりました」
約束に、と、早速盗むようなキスをして、シンはきちんと敬礼してからアスランの部屋を出た。
敬礼しながら見た、ぽかんとした表情は、今まで見たどんな顔よりも、人間らしくて、可愛かった。
閉めたドアに、背をつけて。
シンは、自分の手のひらを見つめ、それをぎゅっと握ってから、目を閉じた。
あの、クリアな世界を思い起こす。
あの人と、俺だけの知る、あの空。
お前しだい、とあの人は言った。
出された宿題は難しいけれど、きっとできないことじゃない。
あのクリアな空を自分のものにしたら。
「よーっし！」
明確な目標を得た少年は、意気揚々と歩き出す。
その先に、は、きっと、きれいな世界があるに、違いなかった。